文化・芸術

2008年2月 8日 (金)

どうしてこんなことになったのか、私にはわかりません。(中略)これを読んだあなた。どうか真相を暴いてください。それだけが私の望みです。【レビュー】夏の夜の獏

池袋シアターグリーンまでお芝居を観てきました。
大島弓子さん原作の舞台「夏の世の獏」[劇団一跡二跳(http://www.isseki.com/)]

一応公演中だし、ネタバレを含む文章が続きますのでここでワンクッション。
楽日過ぎましたので、制限解除。

そうじ:6さい。あたらしいおうちをみにいった。
そう二:2ねん生。ひっこしをした。
走二:3年生。小箱さんがやってきた。

走二は8歳の誕生日、周りの大人たちが「子どもっぽい」事に突然気がついた。
「お父さん、お母さん、お兄ちゃん。急にどうしたの?凄く子どもだよ?!」
「何言ってんだよ、子どものクセに!」

先生もクラスメートもみんな子どもみたいだ。唯一、いやたった二人だけ、大人に見える人が居た。1人は1組の「のりこちゃん」、そしてもう1人はウチでおじいちゃんのお世話をしている「小箱さん」。のりこちゃんは「真夏の夜の夢」って本を指差して『恋の魔法にかけられた』って言っていたけれど、じゃあ一体誰が魔法をかけたんだろう。

11月に観た「おれたちは天使じゃない」以来、目から汁が出ました。
初出から酷いんですよ、この家族。ホンットに自分の事しか考えてない、それを棚に上げて家族を非難する。

まさに「棚」なんですよ。
リビングルームにある棚の一番目立つ場所に何を置くか言い争いになり、
「ここは俺の家だぞ(父)」
「私達の家よ(母)」
「俺が金を出すんだ(父)」
「じゃあ私、働きに出るわ(母)」
その後父親の矛先が大学受験を2浪している兄・走太郎に向かい、喧嘩の末出て行ってしまいます。
ここからこの家族は、後に出てくるのりこの紹介した「真夏の夜の夢」に沿うように絆を失していきます。
そんな中で「しっかり」しようとする走二は、図書室で出会ったのりことの交流の中で何者かが自分の心に魔法(恋の魔法)をかけて、「心だけ既に成人している」事を悟ります。
物語をなぞる様に崩壊していく家族関係をなんとか元に戻そうと、魔法をかけ直す手がかりを探す走二。
いかん、ストーリーを羅列するだけになってしまった。

走二はこの件りで、小箱さんが魔法をかけたと思ったようで、小箱さんに恋の魔法をかけ直そうとします。この真夏の夜の夢って原典を読んだ事が無いのですが、実は先述の「棚」が魔法アイテムだったんじゃねーかな?と、振り返った今考えてしまいます。

幕開け当初、この「心と体の年齢が違う」という設定から何と無く「モモと時間ドロボー」を彷彿とした僕は、何かしらのハッピーエンドを予測していました。していたのですが、

「これどう転んでもバッドエンドしかねえよ( ノД`)゜・。・゜ウワアアン

そして最後の最後。
家族の中でお荷物として扱われていたお祖父さんが事故で亡くなり、父親と母親の離婚が決まり、片想いをしていた小箱さんがお兄ちゃんと結婚する事になっても、『僕は大人だから』と平静を装います。小箱さんに『本当に大人なのね』と感心されて走二1人舞台に取り残されます。
『そう、僕は大人さ。大人なんだ…。僕は、大人だよ……大人だけど…。うっううう…』
さめざめと泣く走二の前にのりこが現れ、
『泣かないで、走二くん。大人は泣かないものよ。』
と励まされます。
『良いんだよ、泣いても』
『だって私達、大人なんだよ。大人は泣いちゃいけないんだよ?』
『泣いても良いんだよ。だって、僕たちは本当は8歳なんだよ。』
『ダメよ。今のお母さん困らせちゃうもの』(のりこの両親は既に離婚して他界している)
『良いんだよ。だって、子どもは大人を困らせるものだろう?』
『良いの?本当に?怒られない?』
『良いよ。だって僕たち、子どもじゃないか。』
二人はそこで声を荒げて大泣きします。ここで変な汁がちょちょぎれた訳です。

OK。じゃあここでチェス盤をひっくり返すぜ…!!
元ネタが分からない人の置いてけぼり感が…(´・ω・`)

この「身体は子ども、心は大人」というファンタジックな設定なんですけど、実は「8歳になった子どもがちょっと背伸びしたくなった心境」と捉えると、俄然リアルな現代劇になってしまうんですね。
のりこが走二を「精神年齢20歳」と言っているのに対し、「私は21だから」と付け足す辺りがまさしく「他人と違う事をアピールして優越感に浸りたい」お年頃の女の子そのものだと思うのですが、いかがなもんでしょうか?

ファンタジー要素を織り交ぜようと見せかけて、実は「子どもの視点」を切実に描こうとしているように視えてなりません。
「大人が子どもの視点で物を観てみる」またはその逆をテーマにした芝居をやってみたいとつくづく考えているのですが、この変型「迷探偵コナソ」パターンはまさしく目から鱗でした。

機会があれば是非一度演ってみたい芝居です。

[08/02/11追記]
公演終了に合わせてネタバレ制限解除。
同時に加筆修正しました。

以下アフィリエイトの短編集「つるばらつるばら」に、原作の短編が収録されています。

つるばらつるばら つるばらつるばら
販売元:TSUTAYA online
TSUTAYA onlineで詳細を確認する

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2008年2月 2日 (土)

ねえ、その私、幸せ?【レビュー】ナルシグナル

観て来ましたー東京ねじ公演「ナルシグナル」

-泣かないの?
-泣くわけ無いじゃない

ゴミ箱に投げたカギ、サブバッグを抱えて目の前から消える彼、彼の実家から届いたダンボール。
エキセントリックだがやや空気な主人公の部屋に女が集まる。
鍋。ミツタケ?マツタケじゃないの?舌が痺れる。死にはしないよ。廻る廻る。誰と話してんの?名古屋の方じゃないんですか?ダイスケ?何か光った!単純なんですよね…墜落?ゴスロリ?幽霊!疾き事風の如し!コリン星?気持ちイイと思ってるんじゃないの?

-ねえ、その私、幸せ?

フラグが立った、選択肢キタコレ、現実ってなんでエロゲーみたいに逝かないんだろうねー?そんな話ではありませんが、まあそんな話です(意味不明
「あの時ああしてたら、ひょっとしたら今自分は違う事をしていたんじゃないか?」
「今の自分は本物の自分?もっとやりたい事があったんじゃない?」
「今とは違う、もっと幸せな自分がいたんじゃない?」
と思う反面、そんな事を考えてしまう自分にしょんぼりする事、ありませんか?

自分の足で観に行くと、ハズレな作品ばかりなワタクシですが、今回は当たり。
女性が集まった時の賑やかさ、かしましさが伝わってきて、台詞の一つ一つが本当の日常会話に聞えました。
その上でファンタジーな部分、主人公が「別の可能性の自分」と対話する描写もしっかり芝居になってて、お芝居の空気から外れるという事がありませんでした。

お話は文句なしだと思いマス。

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2008年1月30日 (水)

【PR】東京ねじ公演「ナルシグナル」

高校の後輩で声優志望のヤツが、舞台に出るということで告知します。

東京ネジ(http://www.tokyoneji.com/
第9回公演 [ナルシグナル]

作・佐々木なふみ
演出・佐々木香与子

会場:王子小劇場

1月31日(木)14:30/19:30
2月1日(金)14:30/19:30
2日(土)14:30/19:30
3日(日)14:30

受付開始は開演30分前です。

一般前売/2800円(当日/3000円)
初日割引/2000円(1月31日マチネのみ)
高校生以下/1500円(前売・当日共)
※整理番号付、全席自由、税込

僕は金曜日の夜に行こうかと思いマス。

是非観に行ってみてください。

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2008年1月29日 (火)

演出家の仕事

1月28日の新聞に、演出家の栗山民也さんのインタビュー記事が載っていました。

『演出家の仕事』という本が刊行された。捕虜収容所で舞台脚本を執筆するなど戦争体験最後の世代という父の話、自身の演劇体験や思想を綴ったもの。
インタビューは著書の内容を基に行われたようです。

気になった場所を引用

シェークスピアは「演劇は時代を映す鏡である」というせりふをハムレットに与えています。演劇の社会における役割は大事だと思う。社会と向き合う芝居を作ることが忘れられている気がします。
芝居≠演劇、例えばテレビドラマ、邦画なども娯楽性に囚われすぎて作品の主張が見えてこないものが多いです。

日本には、他者のせりふを聞かないで、自分の台詞だけを信じている役者がいる
うわっ耳が痛いなあこれ、心に刻みます。下手な2時間サスペンスよりも、最近のサウンドノベルの方が芝居できてるのはどういうことなんでしょうか?

インタビュー最後に登場している『狂いに入っていく』という言葉が登場するのですが、ちょっと記事を読んだだけだと分かりませんでした。
本屋に行ってみようかな?

演出家の仕事 (岩波新書 新赤版 1105) Book 演出家の仕事 (岩波新書 新赤版 1105)

著者:栗山 民也
販売元:岩波書店
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2008年1月26日 (土)

同時上映「クレヨン(以下略)オトナ帝国の逆襲」

某王蟲風建築物に関連して、週刊ポスト2月1日号に4ページほどの記事が出ていました。

「あの頃の最先端が時代遅れに…取り壊し寸前 昭和の名建築図鑑」

「ALWAYS 三丁目の夕日」のヒットから、昭和30年代~40年代の「懐かしきあの頃」に誕生した日本の傑作的建築物が姿を消しつつある事に話題が流れる。
4ページの構成中見開き2ページで都城市民会館の写真が載っていて圧巻。
その下に「建築家のチャレンジを許した“昭和”という時代」という見出しで本文が書かれていて、かなり強烈な印象だなあと思いました。

以下感想というか雑感

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2008年1月 9日 (水)

宮崎駿の雑想ノート

年末年始は引越しやらオフの事で結構やることが混み混みだったため、収録ができない状態でした。次回更新は13日を予定しております。
今回は、朗読をする上で最近参考になったラジオCDを紹介します。↓

宮崎駿の雑想ノート5 オリジナル・サウンドトラック

Music 宮崎駿の雑想ノート5 オリジナル・サウンドトラック

アーティスト:ラジオ・サントラ
販売元:徳間ジャパンコミュニケーションズ
発売日:2004/09/29
Amazon.co.jpで詳細を確認する

アニメーション監督宮崎駿の妄想が織り成す、今は第一線を退いた兵器を主題にした物語。

宮崎駿さんの作品を観ていると、背景や人物の描写だけでなく(実はそれ以上に)武器や闘う乗り物の描写がとてもカッコいいことに気付かされます。

そんな兵器愛と人情が詰まった物語を朗読するのは、イッセー尾形さんや桃井かおりさんなどベテランの表現者達。
一人三役は当たり前(ナレーションも含めて四役)、特にイッセー尾形さんの回などは、モブのキャラクターのいくつか演じ分けられているのが聴けて、とても勉強になります。

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2007年12月17日 (月)

サービス業で食っていくという事

役者で飯を食っていくっていうのはどういうことか、雑然と考えてみました。

無名塾の仲代達也、巴隆がいうところの「何も生産しない職業」たる役者業、ひいては文化・スポーツに携わる人たち。
僕が目指す彼らの生き方は、農家のように野菜や米を作る訳でもなく、まして教師のように未来の生産力を創造するでもない、言わば赤の他人から「お恵み」を貰う生き方だと思います。
このネットラジオが28人の方に登録いただいていますけど(2007年12月17日現在)、仮にこのパフォーマンスで食っていくとすれば、毎年5~6万円づつカンパして頂く事なのではないかと。

毎月入場料5千円の公演をするって事?あんな内容の公演で5千円?
無理だ。5千円も払って観聴きしてもらうような内容じゃない。

そう考えると、トップアイドルとか、国民的俳優といった人たちが割りとイイ生活を送る理由も納得できるなぁ。
仮に国民的スターが1円ずつカンパに回っても、日本全国回れば億に届くんだから。

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2007年11月19日 (月)

おれたちは天使じゃない

『君達に最新情報を(以下略』
本題に入る前に、「勇者王ガオガイガー」をリレーで全話観ました。
「ストレス」が敵のロボットアニメ。本当にこれローティーン向けに作った作品ですか?
引き篭もりがちで、負の感情に押し潰されがちな「心の弱き」現代日本人は、まず観てほしい。曲名は分からないけど、ジェイアークが登場するときに流れる挿入歌。これは泣けるでぇ。(涙はこれで(ry

閑話休題

3ヶ月ぶりくらいに観ました。ひょっとしたら「霧の向こう」以来?
ミュージカルカンパニーイッツフォーリーズの作品です。

年の瀬も迫る晩の事、刑務所で集団脱獄が決行された。別荘街に逃げ込んだ3人の男「ねじ釘の哲」、「泉の三太」、「キャンパスの助六」。
忍び込んだ邸宅で彼らが目にしたのは、父と娘の首吊り心中だった。
思わず助け出す3人。一命を取り留めた少女ミツ子は、この脱獄犯3人組を「天使」だと思い込む。

1955年にハンフリー・ボガートらが映画化、また1989年にはロバート・デニーロが主演を演じてリメイクされた原作を、1980年にいずみたく(「見上げてごらん 夜の星を」、「アンパンマン」挿入歌など)主宰のミュージカル劇団フォーリーズ(現ミュージカルカンパニーイッツフォーリーズ)が「日本の物語」として脚色した、「日本創作ミュージカルの最高傑作」と呼ばれているとかいないとか。

3年前に一度地元で見ていたのですが、当時は大変にヤサグレていたため、どこか斜に構えて観ていた事を憶えています。でも、劇中歌「今、今、今」と、西本=ねじ釘の哲=裕行さんの締めの一言「おれたちは天使じゃねぇんだ」に深く心を抉られ、ヤサグレ心に涙を流した思い出は今でも忘れません。
あ、忘れていました。今回再び、「おれたちは天使じゃねえ」という台詞を耳にし、声を殺して泣き出すまでコロッと忘れておりました。
ついでに言ってしまうと、泉の三太役の井上一馬さんが3年前にも同じ役で地元に来ていた事もすっかり忘れていました。

今回はバイトを一日休んで、搬入から交流会、搬出まで(2ステージ公演だったので、2日目の最後まで)参加させていただきました。
搬入口での顔合わせ、「霧の向こう」と同じスタッフの方々から、
「どうしたのこんなところで?!」
と一言。
お、憶えてくれてたんスね…(ドキドキドキドキ
開口一番「霧の向こう」の時の非礼を詫びつつ、最初から最後まで付き合う旨ご報告。派遣の搬入出手伝いさんと一緒に荷降し。

公演が終わって感動に涙しつつ、カーテンコール中は独りスタンディングオベーションしつつ、交流会に参加。
井上一馬さんを目の前にしているのに、自己紹介が終わるまで気付かなかった事を平謝り。
「宮崎からわざわざ公演に観に来てくれた方をご紹介します。」
と振られたので、しどろもどろになりながらも自己紹介と今後の活動表明(ナゼニ!?)。
一馬さんと芝居の話をしていた筈なのに、いつの間にか「磯野家みたいな日常って幻想」という結論で意気投合しつつ笑顔で握手。
席を移動して、「霧の向こう」に参加してた女優さんとしばし「霧の向こう」話に花を咲かせ、制作の方からは3年前に地元でやった「おれ天」のかなりイイ話を聴かせていただいて、この時点で僕の精神ポイントは完全回復しました(でも夜更かしと若干の飲みすぎで、翌日全く仕事にならなかったのはここだけの話)。
2次会ではボジョレー・ヌーボをグラス1/8ずつ酌みながらアツイ演劇論で大論戦を展開。
その辺は、機会があればおいおい書いていこうかなと思います。

脱獄3人組よりも、心中しかけた家族の方に注目して観ていたのですが、
「今、生きている事が一番重要なんだ。幸せなんだ。」
というのがこの芝居から僕が感じたこの作品のテーマでした。

以下ネタばれというか、知らない人を完全に置いてけぼりしたトークになります。

結果的に3人組は自首したものの、別に脱獄を悔いて改心したわけではないですし(そういった気持ちの揺らぎが無いとは言わない)、そもそもこの家族がした事だって「殺人を容認し、見逃した」犯罪です。でも、この家族にしてみれば、目の上のタンコブだった障害(しかも相手はこの家族を見殺しにする気満々だった)を綺麗に取り除いてもらった訳で。

勧善懲悪がまかりとおる人生なんて現実的にはあり得ない。
「サザエさん」のような平和な日常が恒久送るなんて、それこそが非日常。
それでも人として、生物として生まれた以上は生きなきゃならない。
寿命でも不慮の事故でもない死の危険からは意地でも抗わないといけない。

塞ぎ混んで部屋でモニターと睨めっこしているティーンエイジャー達に、是非とも観てもらいたい一作です。

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2007年9月30日 (日)

世界の仰天建造物(某まる見え風)

まずはこちらをご覧いただこう。
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まるで巨大なダンゴ虫。まさに「風の谷のナウシカ」に登場し、ペジテの都を壊滅させた王蟲。このバカでかい構造物、皆さんはこれが一体何かお分かりだろうか。

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なんとこの建物、ある地方都市のシビックホール(市民会館)だというのだ。
この「都城市民会館」。建築責任者は菊竹清則。
大阪・愛知万博を手懸け、出雲大社の施設のいくつかにも関わっている(ちなみに、愛知万博では総合プロデューサーの任に就いていたという)、日本メタボリズム建築のパイオニアだ。

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会館で行われるイベントに関係なく、建築を専攻する学生が毎年多く訪れるというこの建物。それもそのはず、海外の教科書に掲載されるほどの「知る人ぞ知る」名建築なのだ。
実はこの都城市民会館、市議の方針によって解体への一途を辿っている事をご存知だろうか。計画がスムーズに進行してしまうと、来年1月を目処に解体が始まってしまう。

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ちなみに、「メタボリック」とは「新陳代謝」、必要な物は残して不要な物は改善する、その理念を活かし、増改築を前提としたこの建物は、まさに「リサイクル建築物」と言えよう。

と、ググれば見つかる客観論はともかく。

アスベストの問題や施設の扱い辛さは、正直問題でした。
その解消のために新しく市は劇場を建てましたが、その結果は、
「あんまり良くないね。」中村梅雀談
市民会館同様ステージ上での音の「届きにくさ」が役者を非常に演りにくくしているそうです。
性能が似通っている物から一つを選択するときに、最終的な判断材料となるのは「デザイン」。よりランドマークたる建造物はどちらか、火を見るよりも明らかだと思います。

オブジェとして「だけ」の目的で建築物を保存することに疑問はあります。
残したあとで、どのように活用していくか。
「市の文化の拠点として活用したい」という話を漏れ聞きました。
都城の演劇鑑賞団体である「都城子ども劇場」と「都城市民演劇鑑賞会(霧島べいすん)」、市の文化協会の事務所を移転したいとの事。
2つの鑑賞団体が同じ屋根の下で活動すれば、例えば、合同公演として中学生から大人向けの舞台を企画できたり、子ども劇場の自主活動も更に幅広い年齢層の交流が可能になります。
解体賛成派の計画案では、解体した後は駐車場を設営するということですが、現状地理的メリットは皆無に思えます。
一刻も早い市議の方針転換を期待してなりません。

[11/27/07追記]
南九州大学が20年間無償で借用する方向で、取り壊しの延期が決まったようです。

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2007年9月 1日 (土)

森は生きている

貧乏な家に生まれたヒロインは、欲張りの母姉に言いつけられて、真冬の森に野草を取りに行きました。王女の御触れで見つけなければならなくなったその野草は、本来春まで待たなければ咲かない物。
捜している間にすっかり日も暮れ、道に迷ってしまったヒロインは、そこで季節の妖精たちと出会います。

ぶっちゃけ、初めて舞台のキャラクタに萌えた。
健気なんですよね、ヒロインが。季節の妖精と恋に落ちるのですが、彼らの存在を周りの人に知られないように一生懸命だったり、「人間と妖精が恋仲になるなんて」と反対する季節の妖精たちを説得したり。

この記事を書くために劇団を調べ直したのですが、これ無名塾作品http://www.mumeijuku.net/でした。てっきり青年座だと思ってたり…猛省orz

思い出し直してみると、「偉い系」の役で登場されていたような気がします。
王様?でもあの物語に登場する王族関係は、基本的にワガママな王女とその従者しか登場していない筈だから(王様役はその後に観た「ウィンザーと陽気な女房達」の方か)、季節の妖精の長…かな…

これの前に観たのが「どん底」だったのでギャップが凄すぎる…

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