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2007年8月28日 (火)

ぼくたちの南十jもとい子どもの頃

地元の都城子ども劇場のことについていろいろ思い出そう。
(ちなみにタイトル「ぼくたちの南十字星」は劇団風の子http://www.kazenoko.co.jp/初期の作品)

事務局を1回引越したのですが、最初に使っていたのは一戸建ての貸家で、ボットン便所と総畳張りが印象的な場所でした。
僕が物心ついた頃にはもう、荷物の山がそこら中に出来上がり、壁や天井に例会のポスターが貼り付けられていました(丁度その一枚の中に「南十字星」のポスターもありました。実際の舞台は観ていないと思います)。
普段使っている大部屋の他に、当時既に荷物置き場になっていた中部屋が1つありました。昼でも暗く、迂闊に入れば「押入れの冒険」の如く異空間に連れて行かれるのでは、と恐れおののき、ふすまに寄ることも出来ませんでした。

その事務局を引越すのと同時期に、「青年が解散する」という衝撃ニュースが飛び込んできました。
中学生になった僕と兄は唖然。
キャンプは?合宿は?無くなっちゃうの??
青年たちが去ったあと、当時の高校生達の発案で、「中高生による子どもキャンプ」企画が立ち上がりました。財政管理や移動手段・施設の予約などは親の手を借りつつ、日程計画から小学生の指導まで、一から自分達で取り回しました。

それから、中高生による自主活動が活発になり、「中高生グループ」から「CVA(Children's Volunteer Activity)」と名前を改め、高校を卒業するまで関わりました。
模造紙2枚分の「巨大紙芝居」を作ったり、公園を掃除するついでに集めた落ち葉で焼き芋をしたり、クリスマス会でバンド演奏をしたり。学校生活よりももっと充実した時間を過ごしました。

振り返ってみると、幼児・小学生の頃は、それほど自主活動をしていた記憶はない気がします。
というより、青年がいた頃は「青年が楽しい自主活動」ばかりやってて、当時の子どもは蚊帳の外だった気さえします。もちろん「子どもまつり」などの、子ども向けの自主活動はありました。ダンボールで人間大もぐら叩きを作った記憶は今でも鮮明です。
楽しい記憶半分、置いてきぼりの少し寂しい記憶半分、そんな気がしてなりません。

反面中学生になってからは、ほぼ週1のペースで事務局に顔を出していました。学校でのストレスを、そこで全て発散していた気さえします。
CVAの活動が無かったら、僕は中学高校のどこかのタイミングで引き篭もっていたと断言できます。(余談;最近のいじめ報道を見てて、「よく僕は死ななかったなぁ」とつくづく思う。)

そんな「劇場にいた良い面」をつらつらと書いてみました。
次回は「劇場っ子の暗黒面(というかジレンマ)」について書こうと思います。

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